ただのジャニオタ日記

アラサーでエイターでジャニオターのyazaaiが日々思ったことを、そりゃあもう勝手気ままに書き連ねるだけの日記です。

「イジり」上手な関ジャニ∞がイジメをなくす!?

腸閉塞でお仕事をお休みしていた大倉くんが、驚異的な早さで回復し、復活しましたね。

「もっとゆっくり休んでていいのに…」と思いつつ、オールナイトニッポンで生の声を聞けるとやっぱり「嬉しい」と思ってしまう私。

こういうファンがいるから、ゆっくり休めないんですよね〜。すみません。

 

今回の大倉くんの一件では、いろんな気持ちになった方がたくさんいるかと思いますが、私が感じたのは

 

「イジり」と「イジメ」は違う!!

 

ということです。

(あ、もちろんエイトの絆とか大倉くんの大切さとかは重々感じた上で、ですよ?)

 

大倉くんがラジオで、お仕事に復帰した日のことを話してくれたのですが、メイク室に行くとヤスくんとマルちゃんがいて、

 

「おぅ、チョウ ヘイソクくん!」

 

と、まるで韓流スターのようなあだ名を付けてくれたそうです。

このセンス、抜群すぎません!?

 

コンサートの最終日という大事な日に、自分の体調不良で穴をあけてしまい、メンバーみんなにすごく迷惑をかけた…。

そんな大倉くんの申し訳ない気持ちを吹き飛ばす、すごくすごく優しい「イジり」だと思いました。

 

コンサート開演のギリギリまで話し合いがなされ、最初は「大倉がいないならコンサートはできない」というのがメンバーの思いだったそうです。

でも、「とにかく、やるかどうかはエイターみんなに聞いてみよう」と話はまとまり、伝説のオーラスが開演したという経緯があったとか。

 

そこまでの絆があるメンバーが、仕事復帰した大倉くんを責めるはずは絶対にありません。それは本人もわかっていたと思います。

でも、やっぱりちょっぴり気まずいじゃないですか!?

(学校休んだ次の日って、誰かに迷惑かけてなくても何となくドキドキするし)

 

そんな時に、「チョウ ヘイソクくん」なんて秀逸なイジりができるのは、エイトならではだと思います。

 

で、この話を聞いて思ったわけです。

 

「エイトのようなイジりができる人が増えれば、イジメはなくなる」

 

と。

 

前回のブログにも書きましたが、復帰した時だけでなく、メンバーは大倉くんがいないコンサート中も、ずっとイジり倒していました。

 

「腸閉塞にならないって…言ったじゃないかーーー!」

「よく噛んで食べないと、腸が詰まるよって」

 

と、そりゃあもう、替え歌のオンパレードでイジり続けていたんです。

 

一歩間違うと「笑えない」「本人不在の悪口」になりかねないこの状況で、誰もが感動し、エイトの絆が見えたと感じました。

 

ではなぜ、「イジり」が「感動」に変わったのかと考えると、そこには

 

「愛情しかなかった!」

 

からだと思います。

 

大倉くんが「申し訳ない」と思い悩まないようにするための「愛」。

大倉くんファンが少しでも笑ってくれるようにと全力を尽くす「愛」。

大倉くん以外のメンバーをフォローし合う「愛」。

 

あの空間にいた人達は、みんな「愛情」を感じていました。

 

大倉くん自身は、ラジオで「メンバーはイジりが上手やから」と言っていました。

イジるのがヘタな他の人に「オーラスに出れないなんてすごいオチだね」と言われたときは「はい…。って窓の外見てた」と。

 

でもこれって、エイトのみんなも散々言ってたことなんですよね。

 

「元気が出るLIVEのオーラスにいないって、壮大なコントやん!」

 

って。大倉くんがいないことが「オチ」だと言い出したのはメンバーで、その「イジりベタ」な人も、その情報があったからこそ本人に「すごいオチだね」と言ったんだと思います。

 

でも、これを「ヘタなイジリ」だと感じてしまうのは「愛情以外の何か」が含まれているからなのではないか、と思う訳です。

 

よく「イジり」と「イジメ」は違うと言いますが、これは本当にそうなんですよね。

エイトは、よく誰かをイジります。

 

「ヨコがフリを間違えた」とか、

「ヨコがお財布をなくした」とか、

「ヨコがケータイをなくした」とか。

 

でも、これはすべて笑いに変わるエピソードトークです。

そして、もっとも大切なのはイジられる側も

 

「自分を傷つけないでいてくれる」

「よかれと思って言ってくれている」

 

という絶対的な信頼があるということだと思います。

 

この関係性が「イジメ」ではなく「イジり」に変わる絶対条件なのではないか、と。

 

イジメというのは、ものすごく相手のことを意識していないとできません。

例えば学校でのイジメの場合は、

 

「来た来た! アイツ、もうすぐ教室くるよ!」

「その髪型、生意気なんだよ!」

「アイツ、3組の田中のこと好きなんじゃね?(笑)」

 

などとイジめる材料が必要だと思うのですが、これって

 

「いつ登校して来たのかを知っている」

「どんな髪型をしているのかを知っている」

「誰に特別な視線を送っているのかを知っている」

 

という、アイドルに置き換えたら追っかけ並みにイジメる対象を観察して、意識していないと気づかないことなんですよね。

(ちなみにオリキには、正確な入り時間とその日の服装を秒速でメモする習慣があります。それに、誰かが特別扱いをされることを見逃しません!)

 

結局、やっていることは同じでも、そこに愛情があるかどうかで「イジり」か「イジメ」かは決まるのだと思います。

 

大倉くんの話に戻ると、「大オチでしたね」と言った人は、イジりがヘタだったというよりは、大倉くんにとって「絶対的な信頼の置ける人」ではなかったのではないでしょうか?(勝手にすみません)

 

エイトの場合は、見ている側のファンも「彼らは愛情を持っている関係性だ」ということを認識しているからこそ、すべての話が「イジり」にかわり、不快に思う人が少ないというのもありますが、やっぱり彼ら自身の中に愛情があるからこそ

 

「本当に相手が傷つくことは言わない」

 

という思いやりを感じます。

 

例えば、歌唱力についてメンバーの誰かをイジることはほぼありません。

(自分から言い始めたことについてはありますが)

 

ドラマや映画など、ソロの仕事についてもイジることはほぼありません。

 

「他人の失敗エピソードでウケよう」という自己中心的な発想ではなく、

「このエピソードで相手を“おいしく”しよう」というチームプレー的な考え方があるからこそ、「イジメ」ではなく「イジり」になるんだと思います。

(もちろんこれは、芸歴を積んだ今だからこそ生まれた余裕、という部分も大きいとは思いますが)

 

一生懸命頑張っていることをイジらない。

努力をイジっても笑えない。

 

そんな暗黙のルール…というか「感覚」があるのかな、と。

 

とはいえ、エイトのトークでも、時々ドキッとするエピソードはあるんですよ。

 

ライブ中、亮ちゃんがヨコのために毎朝バナナジュースを作ってあげていたけど、実はアレは「今日はいらないな」と思うときもある、という話とか。

 

これってちょっと「そこ、イジって大丈夫かな?(←亮ちゃんへの過保護な親目線)」ってソワソワしません?

でも、これをバッチリ笑いにかえてくるのは、エイトのトーク技術だと思います。

(あとはもちろん「芸能人」という心構えもあると思いますけどね。エンターテインメントとしてのトークだという自覚がみんなにある、というのが大前提なので)

 

結局この話は、ファンの中で「ヨコりょの萌えエピソード」となったわけです。

そして、「バナナジュース」という神的なユニット曲まで生まれました。

 

上手に話してくれないと、

「横山さんって亮ちゃんのこと嫌いなの?」

「亮ちゃんがかわいそう!」

なんて感想を抱く若い子もいたかもしれないのに、愛情があるだけでなく技術も持ち合わせているエイトは、やっぱりすごいです。

 

だいぶ話がいろいろな方向に飛びましたが、

結局私が感じたことは、「エイトの愛情は深い」ということです!←そこ!?

 

お互いに愛情を感じていれば、例え言い方がキツかったとしても、ヘタな言い回しだったとしても「イジメ」だとは思わない気がします。

 

エイトのイジりが「笑える」のは、やっぱり愛情でつながっているからだと思います(何度も言ってすみません)

 

こんな関係性が築ければ、きっと「イジメ」は「イジり」に変わるんですよね。

…っていっても、これはイジメをやめさせることよりも難しとは思いますが。。

 

大倉くんの腸閉塞から「イジり」と「イジメ」について考えた2016年の幕開けでした。

 

結局、何が言いたいかというと

 

関ジャニ∞最高ーーーー!!!

 

ってことです(雑なまとめですみません)