「イジり」上手な関ジャニ∞がイジメをなくす!?
腸閉塞でお仕事をお休みしていた大倉くんが、驚異的な早さで回復し、復活しましたね。
「もっとゆっくり休んでていいのに…」と思いつつ、オールナイトニッポンで生の声を聞けるとやっぱり「嬉しい」と思ってしまう私。
こういうファンがいるから、ゆっくり休めないんですよね〜。すみません。
今回の大倉くんの一件では、いろんな気持ちになった方がたくさんいるかと思いますが、私が感じたのは
「イジり」と「イジメ」は違う!!
ということです。
(あ、もちろんエイトの絆とか大倉くんの大切さとかは重々感じた上で、ですよ?)
大倉くんがラジオで、お仕事に復帰した日のことを話してくれたのですが、メイク室に行くとヤスくんとマルちゃんがいて、
「おぅ、チョウ ヘイソクくん!」
と、まるで韓流スターのようなあだ名を付けてくれたそうです。
このセンス、抜群すぎません!?
コンサートの最終日という大事な日に、自分の体調不良で穴をあけてしまい、メンバーみんなにすごく迷惑をかけた…。
そんな大倉くんの申し訳ない気持ちを吹き飛ばす、すごくすごく優しい「イジり」だと思いました。
コンサート開演のギリギリまで話し合いがなされ、最初は「大倉がいないならコンサートはできない」というのがメンバーの思いだったそうです。
でも、「とにかく、やるかどうかはエイターみんなに聞いてみよう」と話はまとまり、伝説のオーラスが開演したという経緯があったとか。
そこまでの絆があるメンバーが、仕事復帰した大倉くんを責めるはずは絶対にありません。それは本人もわかっていたと思います。
でも、やっぱりちょっぴり気まずいじゃないですか!?
(学校休んだ次の日って、誰かに迷惑かけてなくても何となくドキドキするし)
そんな時に、「チョウ ヘイソクくん」なんて秀逸なイジりができるのは、エイトならではだと思います。
で、この話を聞いて思ったわけです。
「エイトのようなイジりができる人が増えれば、イジメはなくなる」
と。
前回のブログにも書きましたが、復帰した時だけでなく、メンバーは大倉くんがいないコンサート中も、ずっとイジり倒していました。
「腸閉塞にならないって…言ったじゃないかーーー!」
「よく噛んで食べないと、腸が詰まるよって」
と、そりゃあもう、替え歌のオンパレードでイジり続けていたんです。
一歩間違うと「笑えない」「本人不在の悪口」になりかねないこの状況で、誰もが感動し、エイトの絆が見えたと感じました。
ではなぜ、「イジり」が「感動」に変わったのかと考えると、そこには
「愛情しかなかった!」
からだと思います。
大倉くんが「申し訳ない」と思い悩まないようにするための「愛」。
大倉くんファンが少しでも笑ってくれるようにと全力を尽くす「愛」。
大倉くん以外のメンバーをフォローし合う「愛」。
あの空間にいた人達は、みんな「愛情」を感じていました。
大倉くん自身は、ラジオで「メンバーはイジりが上手やから」と言っていました。
イジるのがヘタな他の人に「オーラスに出れないなんてすごいオチだね」と言われたときは「はい…。って窓の外見てた」と。
でもこれって、エイトのみんなも散々言ってたことなんですよね。
「元気が出るLIVEのオーラスにいないって、壮大なコントやん!」
って。大倉くんがいないことが「オチ」だと言い出したのはメンバーで、その「イジりベタ」な人も、その情報があったからこそ本人に「すごいオチだね」と言ったんだと思います。
でも、これを「ヘタなイジリ」だと感じてしまうのは「愛情以外の何か」が含まれているからなのではないか、と思う訳です。
よく「イジり」と「イジメ」は違うと言いますが、これは本当にそうなんですよね。
エイトは、よく誰かをイジります。
「ヨコがフリを間違えた」とか、
「ヨコがお財布をなくした」とか、
「ヨコがケータイをなくした」とか。
でも、これはすべて笑いに変わるエピソードトークです。
そして、もっとも大切なのはイジられる側も
「自分を傷つけないでいてくれる」
「よかれと思って言ってくれている」
という絶対的な信頼があるということだと思います。
この関係性が「イジメ」ではなく「イジり」に変わる絶対条件なのではないか、と。
イジメというのは、ものすごく相手のことを意識していないとできません。
例えば学校でのイジメの場合は、
「来た来た! アイツ、もうすぐ教室くるよ!」
「その髪型、生意気なんだよ!」
「アイツ、3組の田中のこと好きなんじゃね?(笑)」
などとイジめる材料が必要だと思うのですが、これって
「いつ登校して来たのかを知っている」
「どんな髪型をしているのかを知っている」
「誰に特別な視線を送っているのかを知っている」
という、アイドルに置き換えたら追っかけ並みにイジメる対象を観察して、意識していないと気づかないことなんですよね。
(ちなみにオリキには、正確な入り時間とその日の服装を秒速でメモする習慣があります。それに、誰かが特別扱いをされることを見逃しません!)
結局、やっていることは同じでも、そこに愛情があるかどうかで「イジり」か「イジメ」かは決まるのだと思います。
大倉くんの話に戻ると、「大オチでしたね」と言った人は、イジりがヘタだったというよりは、大倉くんにとって「絶対的な信頼の置ける人」ではなかったのではないでしょうか?(勝手にすみません)
エイトの場合は、見ている側のファンも「彼らは愛情を持っている関係性だ」ということを認識しているからこそ、すべての話が「イジり」にかわり、不快に思う人が少ないというのもありますが、やっぱり彼ら自身の中に愛情があるからこそ
「本当に相手が傷つくことは言わない」
という思いやりを感じます。
例えば、歌唱力についてメンバーの誰かをイジることはほぼありません。
(自分から言い始めたことについてはありますが)
ドラマや映画など、ソロの仕事についてもイジることはほぼありません。
「他人の失敗エピソードでウケよう」という自己中心的な発想ではなく、
「このエピソードで相手を“おいしく”しよう」というチームプレー的な考え方があるからこそ、「イジメ」ではなく「イジり」になるんだと思います。
(もちろんこれは、芸歴を積んだ今だからこそ生まれた余裕、という部分も大きいとは思いますが)
一生懸命頑張っていることをイジらない。
努力をイジっても笑えない。
そんな暗黙のルール…というか「感覚」があるのかな、と。
とはいえ、エイトのトークでも、時々ドキッとするエピソードはあるんですよ。
ライブ中、亮ちゃんがヨコのために毎朝バナナジュースを作ってあげていたけど、実はアレは「今日はいらないな」と思うときもある、という話とか。
これってちょっと「そこ、イジって大丈夫かな?(←亮ちゃんへの過保護な親目線)」ってソワソワしません?
でも、これをバッチリ笑いにかえてくるのは、エイトのトーク技術だと思います。
(あとはもちろん「芸能人」という心構えもあると思いますけどね。エンターテインメントとしてのトークだという自覚がみんなにある、というのが大前提なので)
結局この話は、ファンの中で「ヨコりょの萌えエピソード」となったわけです。
そして、「バナナジュース」という神的なユニット曲まで生まれました。
上手に話してくれないと、
「横山さんって亮ちゃんのこと嫌いなの?」
「亮ちゃんがかわいそう!」
なんて感想を抱く若い子もいたかもしれないのに、愛情があるだけでなく技術も持ち合わせているエイトは、やっぱりすごいです。
だいぶ話がいろいろな方向に飛びましたが、
結局私が感じたことは、「エイトの愛情は深い」ということです!←そこ!?
お互いに愛情を感じていれば、例え言い方がキツかったとしても、ヘタな言い回しだったとしても「イジメ」だとは思わない気がします。
エイトのイジりが「笑える」のは、やっぱり愛情でつながっているからだと思います(何度も言ってすみません)
こんな関係性が築ければ、きっと「イジメ」は「イジり」に変わるんですよね。
…っていっても、これはイジメをやめさせることよりも難しとは思いますが。。
大倉くんの腸閉塞から「イジり」と「イジメ」について考えた2016年の幕開けでした。
結局、何が言いたいかというと
関ジャニ∞最高ーーーー!!!
ってことです(雑なまとめですみません)。